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絶望工場に希望はあるかーー介助現場の社会学に向けて

今から書くことはフィクションだと考えて欲しい。

 

こう、断り書きをしなくてはならない現在の社会における個人情報の保護だとか、研究倫理の遵守みたいなことについても思うところは様々にあるのだけれど、それについては愚痴めいてしまうし、たぶん、別に書いたほうがいいだろうから、ここでは書かない。

 

 

さて、社会福祉士という国家資格の実習のために、6週間の施設実習を受けてきた。このブログの更新がすっかりとまっていたのも、それによるものである。実習期間中は、体力のあまりない私なので日々の業務と日誌や書類の記入などで疲弊しきって、一本も舞台も観に行けなかったし、ほとんど実習先と自宅の往復の日々を過ごしていた。実習先というのは常に評価されている場所であるし、自分の職場というわけではないから、また独特の緊張があるんだ、と少しだけ言い訳をしておきたい。

 

とはいえ、6週間といっても休日は原則として休みなので、概ね施設に通ったのは、1ヶ月間ぐらいの期間ということになるだろうか。デイサービスや、特別養護老人ホームの組み合わされた高齢者福祉の複合施設での実習だった。

 

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ふたば未来学園高等学校『数直線』をみた

アトリエヘリコプターでふたば未来学園高等学校演劇部の作品「数直線」をみた。

 

県立ふたば未来学園高等学校は2015年に開校したばかりの新設の中高一貫校だという。学校のパンフレットには雄弁な文字がおどる。「この地から未来創造」。でも、なんて皮肉な名前なんだろうって私は思ってしまう。「未来」、果たして日本で今捨てられようと、忘れられようとしている土地の学校に「未来」なんて名前を冠するのは、皮肉以外の何物でもないじゃないか、とも言いたくなる。

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現在進行形/プロセスとしての演劇のために(0)

現在の商業演劇を下支えしている層というのが、殆ど中高年であって、彼らが抜けてしまった後、日本の演劇業界、とりわけ、採算性を視野にいれなければいけない演劇業界がどのように対処するのかという問題は考えられなければならないだろう、ということは以前に少し書いた。

 

実際にかなり動員力が高い方だと思われる、NODA・MAPでさえ、観に足を運んでみると、それにはチケット代が高いからということもあるのだろうけれど、客席の多くはおそらくは遊眠社時代からのファン層だったと思われるひとたちによって占められている。

 

では、演劇はどうしたらいいのか。そんなことをずっと考えている気がする。ただ、具体的な作品抜きに、演劇そのものを語ろうとすることは危険なことで、空疎なことばにまみれてしまう可能性も高いから、できるだけ、このメモはことばだけが一人歩きしないように書きたいなと思っている。

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光ある方へ--田中圭一『うつヌケ』を読む

田中圭一「うつヌケ」(KADOKAWA)を読みました。

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

田中圭一さんといえば、手塚治虫パロディなどで知られる絵の上手なギャグ漫画家ですが、「うつヌケ」はギャグを途中に挟みつつも、基本的にはいたって誠実で生真面目なトーンで書かれた一冊(でも、必要以上に暗くならないのが素敵)です。

「うつ」だけでなく、いわゆる神経症に悩んでいる/悩んだことのあるひとには幅広くおすすめできる一冊だと思いました。支援者や家族が当事者への理解を深めるためにも、ちょうどいいガイドブックかもしれません。

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ベテルギウスは、いつでも--写真を考える(1)

冬の大三角形の一角をなしているオリオン座のベテルギウスは地球からおよそ642光年の距離にあるとされる。だから、ベテルギウスから発せられた光は孤独な旅を642年間経て、私たちのもとへ静かに注いでいるともいえるし、どんなに目をこらしても、私たちがみることのできるベテルギウスは642年前のそれだともいえる。私たちに〈いま〉のベテルギウスをみることは絶対にできない。そんなことを考えていると、少しだけ切ない気持ちになるのは私だけだろうか。

 

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声にならないものを声にする--地方と演劇(1)

「地方で演劇をすること」について考えます。長文です。

 

私は、ふだん東京に暮らしているので、東京の子どもたちと関わることが多いんだけど、彼らのことをみていて、環境としては恵まれているなあ、と思わずにはいられないことが多い。演劇だって、面白い公演を良心的な価格で観ることもできるし、小中高生とコラボレーションしてくれる、たくさんの、きちんとしたアーティストたちがいる。実際彼らとのコラボレーションによって、興味深い作品が沢山生み出されていっている。

 

けれど、それがもし地方だったら?

 

もしかしたら、たとえば、中高生にとっては、演劇部だけが唯一演劇とつながることのできる場所かもしれない。演劇を観るためには交通費をかけて、東京や大阪まで足を運ばないといけない。それから、仮に高校を卒業した後、演劇の専門的な技能を身につけたかったとしても地元では進学する先がない。やっぱり、東京/大阪に行かないと。でも、行くためには沢山のお金が必要で…演劇なんて仕事になるかもわからないし…と、私たちの知らないところで、決して表にでは出てくることのない数々の悲しい断念が生じているかもしれないんだ。

 

このことは誰もが気づいていて、にも関わらず、結構多くの場合、沈黙されていることだけれど、いま、日本には歴然と文化的格差がある。東京では毎日観劇に足を運んでもすべては観られないであろう本数の舞台が上演され、一方、地方ではそもそも地域に根ざした劇団自体が存在しなかったりする。これは美術についても、音楽についても、たぶん同じ状況にあるといっていい。

 

 

世田谷パブリックシアターで開催されたレクチャー『地域で展開する市民参加演劇プロジェクト』に参加してきた。東京も含めた各地域(三重、福井、鳥取、愛知、青森、東京(世田谷))の(主に)公共ホールで行われている市民参加(型)演劇プロジェクトの事例を紹介し、その課題と今後についてディスカッションするような場で、レクチャーというより、フォーラムといったほうがよかったかもしれない。

 

参加して私が考えたことをいくつか書いておく。

 

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そっち側じゃなかった方のあたしへ

かわいい女の子は無口になるだけで心配される。

 

何かあったの、困ってる、大丈夫、手を貸そうか? その程度のことは別に気にならない。けれど、世の中にはたぶん同じことをしても、心配される側のひとと、大丈夫だろうと思われる側のひとがいるんだと、私は思う。

 

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