許すこと、許さないこと.

「暴力のシーンはみせるのかな」、と私が質問した。

ワークショップ最終日。
みんなのいえなかったこと、会えなかったひとのことを「手紙」に書いてもらった。ここでは、お互いの「手紙」を交換して場面をつくっているところ。私たちのグループの元へ届けられた「手紙」は、お父さんがお母さんに暴力をふるっていたけれど、幼い自分が何もいえなかったこと、について書かれていた。

高校生のNちゃんは「あたしは、そういうの直接みたくない」といってくれた。

みたくないんだ、と思った。正直で力強いことばだと思った。暴力を演劇の上でもみせるということは、形式上では簡単なことでも、精神的にはとても覚悟のいることだと私は思っているから、Nちゃんのいうとおり、安易な気持ちから暴力のシーンをみせるべきではないかもしれないと思った。でも、その家に暴力は確かにあったのだ、そのことも私たちは記憶しておかなくてはいけない。

「お母さんはこのことをゆるしているだろうか」、やはり私が質問する。

 

お父さんはこういうかたちでしかコミュニケーションをとることができないひとなの、
だからね、ほんとうはお父さんもお父さんで、かわいそうなひとなの。


それくらいのことを、お母さんはいえるだろうか。言わせるべきなのだろうか。それも言えなかったことばのひとつなのだろうか。もちろん、芝居的には言わせるのが定石なのかもしれない。

しかし、Kがいった。「あたしはそこでお母さんに許させるっていうことは、うまく説明できないけれど、お母さんに「お母さん」であることを押し付けることだなって思うから、いやだな」 Kはお母さんの生きづらさに寄り添って手紙を書いてくれた参加者だった。だから、人一倍そのことには敏感だったと思う。

「そうだね」とため息をつきながら私はKに同意する。確かにお父さんの何もかもを受け入れて、それでも黙って生きていくお母さんは存在するにしても、随分とできすぎたお母さんだ。もっと蓋をされてきたお母さんの「許せない」もあっていいはずだ。

それから、みんなだったら、DVをゆるせるか、ゆるせないか、それから、どんなことをいうだろうか、随分と長い時間をかけて議論した。

このとき、私の思考は飛躍して自分のことへと思いをはせていた。
私は、異なった事情から私の母親を許せないし、許そうと思ったことがない。けれども、その前提には母親には完全な存在でいて欲しかったという子どもながらの私の欲望がそこにはあったのだということに話し合いの中で気がつかされた。たぶん、これからも私は母親を許せない。けれども、許せない母もまた人間だったのだということだけは弁えておこうと思った。

発表の場では、セリフは切り詰めた。半分は私の趣味だ。
ことばは切り詰めた方が緊迫感と重みが出てくる。

家族に暴力を振るい続けてきた父親が倒れ病院に救急搬送される。
遠方で働いていた息子が疲れ切った表情で前室に入ってくる。

「…あんな男しんでしまったらいいんだよ」
「どうしてそんな」
「……だって」
 間。おそらく、ふたりがこれまでのこと、これからのことを考える。
「……でもね」

母のこのひとことは思い。母はたぶん父親を許しているわけではない。
けれども、若さゆえの先走った息子の「しんでしまったらいい」ということばにも釘をさしている。母と息子は長い影を引きずりながら集中治療室の前室の長椅子に座っている。


演劇のワークショップでは、こんなことが無数に起こる。私は完成した場面をみるのも好きだし、それまでのプロセスでみんなが語ること、そして一緒に考えることもすごく好きだ。

いささか繰り返しめいてしまうのだけれど、いえなかったこと、会えなかったひとについて應典院という此岸と彼岸を結びつける場所を会場にみんなと一緒に表現をできたことはとてもいいことだったのではないかと思っている。

ワークショップ全体のふりかえりについては、まだ考えている最中なのだけれど、ワークショップの最中の一幕、このことはどうしても紹介しておきたいと思って、ここに書き留めておくことにした。

高校生のための文章教室<1>

文章を「書く」ことが好きだ。

私にとって「書く」ということは日常の中に当たり前のようにあることで、だから、おもしろいことも、学びのあることも無理に書こうとはおもわない。あえていえば、そのときどきに伝えたいことに、ぴったりとくることばをいつも考えていて、それがみつかると、探していたパズルのピースがどこかから出てきたようで何となしにうれしい。

この文章は、ほんとうは私の教え子に向けて書くはずだった文章で、けれども、いくつかの事情が重なって、私は彼/彼女に直接ことばを届ける機会を失ってしまったから、もっと広く様々なひとに便利に使ってもらえるように、ところどころを書き改めながら公開してみることにした。

だから、この文章は基本的にこれから小論文や志望理由書を書こうとする高校生のための文章教室なのだけれど、高校生のためだからといって、大人が読んではいけないということは全然ない。

いまの私は、誰もいない教室でひとりきり、あてどもなく未来の生徒があらわれるのを待っている教員のようなものだから、もしも、あなたが私の生徒に、いや「書く」ということについて一緒に考えてくれる友だちになってくれたら、とてもうれしい。

八木重吉という詩人がいる。彼は自分の詩集の巻頭言にこう書いた。

私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。


私の書くものは詩ではないけれど、それでも私をどうかあなたの友にしてほしい。

続きを読む

希望に似たもの.

夜の池袋の街を歩く。凍えるような寒風に思わず、コートの襟をそばだてた。
東京芸術劇場の前の広場には23時を過ぎてもたくさんのひとがいる。忘年会の帰りにみえるスーツに身を包んだ壮年の男性たち、華やいだ様子であたりで声をあげる学生らしい若い男女の群れ。

 

普段は路線バスのものとして使われている停留所が、深夜になると夜行バスの発着所になることだけは知っていた。今日も何気なく停留所の隣を通り過ぎようとする。白色の強い灯りがそこにだけ灯っていて、照明にてらされたひとたちの横顔がやけにきれいに少しだけ思えた。

 

列をつくって夜行バスに乗ろうとしているひとたちがいる。若い女性が多かった。たぶん学生か、若い社会人だろう。ふるさとを目指して、大きなスーツケースを脇にころがしながら、凍てつくような寒空の下でバスのドアが開くのを待っている。私はバスの行き先を何気なく見やった。

 

「釜石」と書かれていた。

 

2011年の東日本大震災から、来年で7年。あのころ、中学生くらいだった子どもたちが、いま、私の目の前に立っている彼女たちではなかったか。寒さで引き締まってみえる彼女たちの横顔と、そこだけが電灯で明るんでみえる風景に、おもわずなぜだか目頭があつくなりそうになった。彼女たちは毅然としてバスを待って立っていた。当たり前のようにふるさとに向かって帰省する。新しい人生がうみだされている。希望ということばがふっと脳裏に浮かんだ。

 

記憶すること、しないこと。忘れること、忘れないこと。それらの間を絶えず往還しながら、けれども私たちの時間は逃れがたく前へ、前へとおしすすめられていく。あの日、あの時のまま、凍りついてしまった時間は置いてきぼりにされたまま。それでも私たちが手にするその先にあるのは、はたして未来なのだろうか。

 

メディアには震災に関する写真や映像の大量のアーカイブがある。記録ではなく記憶。個人の経験した〈私〉の物語を再生するところから果たして何が生まれでてくるか。



東京で野宿者支援のひとつの拠点となっている宮下公園では今年も越年のための路上闘争と大規模な炊き出しが行われる。少しだけほっとすると同時に、どうか誰もが希望を胸に新しい年を迎えることができるようにと願わずにはいられない。

 

かつて、四ツ谷さんとよばれた野宿者がいた。

 

荘厳な教会を角にして建つ都心のカトリックの大学に4年間通っていた私はもちろん四ツ谷さんのことを知っている。四ツ谷さんは、四ツ谷駅の近くで暮らしている野宿者だった。だった、というのは、彼がもういまではこの世界には存在しないからだ。

 

私の敬愛するひとりの神父さんは殆どひとには言っていなかったが、四ツ谷さんの支援をしながら、他にも炊き出しのボランティアの事業に永年関わりを持っていた。野宿生活を選択したときでも、それを支えるひとの目とネットワークが存在すること。

 

希望、とは何だろうか。

 

私は希望とはひとのなかに隠れているように思われてならない。

 

演劇を通じて互いの中の希望をみつけだし、新しい年のはじまり、少しでも明日への希望を抱くことができたらいいなと思う。あなたが生き抜くための支えになりたい。たすけることはできないけれど、いっしょにさいごまで走り続けたい。

 

生きる。

「正しさ」の手前に存在すること.

家族に知られずにリストカットをする方法をきいた。
どうしても死にたい気持ちが募ったときは、自分で自分の首をしめるのだという。テーブルの上のICレコーダーは録音中のまま、赤いランプが点っている。私は小さく頷くと淡々と話に耳を傾ける。


生きづらさを抱えたひとたちの話をずっときいている。


生きづらさをしのぐための術を互いの話をききあうことのなかから見つけだしたい。それは社会学だともいえるし、私個人の生存闘争だともいえる。話をきくときに気をつけているのは、明らかな希死念慮と他害行為の恐れがあるとき以外には介入をしない、ジャッジをしないということだ。


手首をあるいは内腿を傷つけるということが、好ましいとされないことを彼女たちはもちろん知っている。「正しい」ことばがひとを援けるとはかぎらない。それどころか、彼女たちは「正しさ」によって傷つき、傷つけられてきた。


そのとき「正しい」ことをいうことは、私の仕事ではない。


ただ、聴く。耳を傾ける。彼女たちが生きのこるために編み出した方法を否定もせず、肯定もせず、うけとめる。そのことが「正しい」ことかどうかはわからないけれど、それでも話すだけで、ときに咎めだてされるようなことを、きちんと〈あなた〉と向きあって聴くことはやはり意味のあることだと思っている。
〈あなた〉が存在をするということは「正しさ」の手前にたつ真実だ。けれども、私たちはそんなことさえ、しばしば忘れてしまう。


私たちの表現は、学びと育ちの場に接続された瞬間から評価されるように方向付けられている。お絵かき、作文、キャリア教育……。子どもたちは夢を語るように求められる。けれども、それも限定された夢だ。ひとだすけをしたい。日本社会に貢献をしたい。「正しい」ことを語ることが賞賛される。一方で、やりがいを搾取しながら、労働者を使い潰す酷く劣化した労働市場に、若者は自己成長の物語を信じ込まされ送り出される。どこにも安心して自由に表現をできる場所など存在しない。

稽古場はひとつの虚構だ。いつか、さよならと別れて、その協同性はおわる。けれど、現実にそんな場所がないのなら、せめて演劇の中でだけでも誰からも値踏みされることのない、安心して自由に表現できる場所をつくりたい。

もちろん、安心して自由な表現をすることのできる場所をつくることは簡単ではない。そのためには、まずはひとりひとりの生に真摯に向き合うこと。その豊かさ、計り知れない深さにふれることからすべてはうごきだす。おもしろいことなんてしなくって大丈夫。〈あなた〉が私の前にたっていることから既に物語ははじまっている。

「かたる」ことと「なる」こと.

ことばにするということはおそろしい。
あなたを好きだと思うことと、あなたに好きだということのあいだには無限の隔たりがある。


随分と前に、生き物は遺伝子の乗り物に過ぎないという言説が流行したことがあったけれども、同じように、もしかしたら、ひとはことばの乗り物に過ぎないのかもしれないとおもう。やさしいひとがいるから「やさしい」ということばが生まれるのではなく、「やさしい」ということばがあるから、ひとはやさしく存在できるのだ。ことばを使っているつもりでいたら、ことばに使われている。そんなことばかりだ。

「かたる」ということは、ことばを身体化していく作業で、言い換えれば、ことばを腑に落としていくこと、ことばを身におろしていくことだともいえるだろう。だから、恋人に「君はとてもきれいだ」と囁き続ければ、恋人は本当に美しくなるのだし、子どもに「あなたは何もできない」と母親が言い聞かせ続ければ、子どもは母親から愛情に似た呪いを生涯にわたって受けることになる。


演劇人というのは、かように理屈めいた生きもので、我がことをかたりはじめるためにも様々な準備をしてからでなくては思うように話ができない。


どうして、このようなことを書いたかといえば、それはなぜ私が演劇をしているか、という問いにこたえるためで、このことを書いておくことは、私や私の大切にしていること、取り組んでいることに関心を持ってくれたひとにとっても大切なことだと思ったからだ。


あるいは、何かに「なる」ということは、おそらくもっとも古典的な芸のひとつで、それは身ひとつで誰にでもできてしまう、しかし、とんでもない秘儀である。


何かに「なる」ということは、自分ではないものとしてふるまうということで、それは、自己を超出してしまうということだ。自分自身を生きながら、おのれをこえでてしまうこと。このことの何とふしぎであることか。


「かたる」ことと「なる」こと、この強烈なふたつの行為を、演劇という表現メディアはその中心に内包している。戯曲よりも演出よりも、もっと手前で立ちどまる。「かたる」ことを通じて、私たちがどこまで、何にたどりつけるのか。「なる」ことによって、どうやって私たちがあの日をやり直すことができるのか。そんなことが知りたくて、ずっと演劇をしている。


戯曲の存在する職業俳優によって演じられる公演であっても、ワークショップとよばれることの多い演劇の実践であってもそれは同じことだ。私がみているのはただそれらの点だけで、技術というものが仮に問われるとしても、それは「かたる」ことや「なる」ことにとっての副次的なものに過ぎないと思ってしまう。

演じることも、演技することも、無数にあふれてしまった今日、私たちは「かたる」こと、「なる」ことに随分と鈍感になってしまった。「かたる」ことと「なる」ことの本質に対する感覚を研ぎ澄ませ、表現のゼロポイントへ立ち返ること。それが私が演劇という営みで目指すことである。

ふたば未来学園高等学校『数直線』をみた

アトリエヘリコプターでふたば未来学園高等学校演劇部の作品「数直線」をみた。

 

県立ふたば未来学園高等学校は2015年に開校したばかりの新設の中高一貫校だという。学校のパンフレットには雄弁な文字がおどる。「この地から未来創造」。でも、なんて皮肉な名前なんだろうって私は思ってしまう。「未来」、果たして日本で今捨てられようと、忘れられようとしている土地の学校に「未来」なんて名前を冠するのは、皮肉以外の何物でもないじゃないか、とも言いたくなる。

続きを読む

声にならないものを声にする--地方と演劇(1)

「地方で演劇をすること」について考えます。長文です。

 

私は、ふだん東京に暮らしているので、東京の子どもたちと関わることが多いんだけど、彼らのことをみていて、環境としては恵まれているなあ、と思わずにはいられないことが多い。演劇だって、面白い公演を良心的な価格で観ることもできるし、小中高生とコラボレーションしてくれる、たくさんの、きちんとしたアーティストたちがいる。実際彼らとのコラボレーションによって、興味深い作品が沢山生み出されていっている。

 

けれど、それがもし地方だったら?

 

もしかしたら、たとえば、中高生にとっては、演劇部だけが唯一演劇とつながることのできる場所かもしれない。演劇を観るためには交通費をかけて、東京や大阪まで足を運ばないといけない。それから、仮に高校を卒業した後、演劇の専門的な技能を身につけたかったとしても地元では進学する先がない。やっぱり、東京/大阪に行かないと。でも、行くためには沢山のお金が必要で…演劇なんて仕事になるかもわからないし…と、私たちの知らないところで、決して表にでは出てくることのない数々の悲しい断念が生じているかもしれないんだ。

 

このことは誰もが気づいていて、にも関わらず、結構多くの場合、沈黙されていることだけれど、いま、日本には歴然と文化的格差がある。東京では毎日観劇に足を運んでもすべては観られないであろう本数の舞台が上演され、一方、地方ではそもそも地域に根ざした劇団自体が存在しなかったりする。これは美術についても、音楽についても、たぶん同じ状況にあるといっていい。

 

 

世田谷パブリックシアターで開催されたレクチャー『地域で展開する市民参加演劇プロジェクト』に参加してきた。東京も含めた各地域(三重、福井、鳥取、愛知、青森、東京(世田谷))の(主に)公共ホールで行われている市民参加(型)演劇プロジェクトの事例を紹介し、その課題と今後についてディスカッションするような場で、レクチャーというより、フォーラムといったほうがよかったかもしれない。

 

参加して私が考えたことをいくつか書いておく。

 

続きを読む