「うつくしい」ニッポンの「ふるさと」

舞台には、はじめからおわりまで音程のずれた「ふるさと」が流れていた。そんなことはないのだけれど、そんな気持ちにさせられる。相馬農業高等学校飯館校 演劇部「-サテライト仮想劇- いつか、その日に、」を観た。

私たちには、そもそも絵に描いた「うつくしい」「ふるさと」など、はじめからないのかもしれない。原発事故で避難を強いられた飯館村の子どもたちが、避難指示が解除されたことを喜びあう、そんな話では全然ないところがすばらしい。

*「途中の場所」で

作品に登場する3人の生徒、ハルカ、サトル、ユキは、いずれも飯館村に直接ルーツをもっているわけではない。だから、飯館村を誇ることも、郷土愛を強烈に発揮することもない。それどころか、彼らが飯館校サテライトに根をおろしたのは、そうしたかった=自ら積極的に望んだから、ではなかった。そうするほかなかった、からである。

劇中で明言されている限り、ハルカとサトルのふたりは、彼らのことばを借りれば、中学生のころ、成績が「オール1」の「不登校児」だった。定員割れをしている飯館校サテライト「くらいしか」彼らの通うことのできる高校はなかったのである。あるいは、サテライトは、定時制と比較した末、全日制の高校だからという理由で辛うじて選択される程度の場所でしかなかった。

ハルカにとっても、サトルにとっても、飯館校サテライトは、いわば、道行きの「途中の場所」でしかなく、中途半端な居場所にしか過ぎなかった、はずだったのだ。

そもそも、飯館校サテライト自体が「途中の場所」であり、中途半端な空間である。相馬農業高等学校飯館校の「本来の」所在地は飯館村なのであって、サテライトはさしあたりの学校運営のために用意された場所に過ぎない。その象徴が彼らの通う、他校の敷地を間借りしたプレハブ校舎だろう。飯館校サテライトは「ふるさと」ときいたときに、想像するような場所ではない、雑然とした、中間的な場所なのである。

ところが、飯館校サテライトの持つ意味はあるとき、反転する-。

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私は、私のことばを取り戻す.

17歳。一度きりの一年。はじめての愛。はじめてのピアス。
白みはじめた空を横目に、線路沿いの路地をお気に入りのチェスターコートのポケットに手を突っ込みながら、ずんずん歩く。低い冬の陽射しがキラキラと水たまりに乱反射している。吐く息も白かった。
世界の何もかもがきらきらしてみえて、だから、大人はほんとうのことなんて何ひとつ知らないのだと思った。
それどころか、大人になることは、ほんとうのことをひとつずつ忘れていくことだ。私だけが、私たちだけが、ほんとうのことを、世界の秘密をしっている。けれど、それは日毎に少しずつ少しずつ失われていく。

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「わからない」ことを生きる.

私たちは、どれくらい世界をまだわかっていないのだろうか。
あなたまでの距離はあと何マイルくらいの遠さにあるのだろうか。

発達に特性のある学生さんから話をきく機会を幾度も持ってきた。彼ら/彼女たちと話をしていて、よく持ち出される「困り感」のひとつが、(彼らからすれば)他のひとにはわかっているようにみえる、他者の感情の機微が自分たちにはわからないということだ。確かにその「困り感」自体は、とても納得のいくもので、たとえば、そのわからなさによって、彼や彼女が「空気を読めない」と周囲から謗られ、次第に孤立していってしまうプロセスもよくわかる。だから、安易なことをいってはいけない。いってはいけないのだけれど、それでも思うのは、それでは発達に課題があるとされていない、いわゆる定型発達のひとは、ひとの感情、もっと広くいえば、ひとのことが、それほどよくわかっているのか、ということだ。

実のところ、私たちはたぶんわからないものに囲まれて生きている。

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「みえないもの」と共にあること.

1月、大阪の應典院を会場に「暮らしのクロニクル」という演劇ワークショップを実施しました。その総括、あるいは報告として参加者に送ったお礼のメールをここにも載せておきます。私がワークショップで感じたことや、思ったことなど。もちろん、その場で起きたことのすべては伝えられないけれど、何かあなたと分かち合うことができたらうれしいなと思います。



ワークショップに関わってくださったみなさんへ
 
2018年の1月の1-3日間、はじめましてのひとからそうでないひとまで、私たちのワークショップ「暮らしのクロニクル」に参加して下さってありがとうございました。

今回は参加して下さったみなさんにお礼をお伝えしたくて、代表してみどりが、このメールを書いています。(このメールの内容はワークショップの報告としてインターネット上の他の場所でも読めるような文章として公開されます。)

どんなふうにまとめたらいいだろう、何を書いたらいいだろう。お礼のメッセージを送ろうということだけは決めていたのだけれど、肝心な内容について思い迷っているうちに時間だけが経ち、もう1月もおわろうという時期になってしまいました。
 
「暮らしのクロニクル」は、演劇の技術の向上や伝達を目的にしたワークショップではありませんでした。少なくとも私がワークショップという形式でみなさんと一緒に演劇をつくるとき、それはいつも同じです。技術ももちろん大切だけれど、それ以上にひとりひとりの生活は豊かだし、そのことを私たちは忘れてしまいがちだと思っているからです。
 

高校生のための文章教室<2>

前回は何かを「書く」ということ、それ自体の意味について考えてみたのだった。

それから〈あなた〉には2週間くらい身辺のどんなことでもいいから、少しだけでも気がついたことや感じたことを思うままに書いてみて欲しいというお願いをした。〈あなた〉は何かを書いてみてくれただろうか?

些細に思える生活の断片でも、空想の翼を広げたフィクションであってもいい。

書きたいことを書きたいだけ、ひとまず書いてみて、それでも、やはり何だか釈然としない、不全感が残るような気持ちになっただろうか。少し意地悪なようだけれど、その不全感にもし出会ってくれたならば〈あなた〉はきっと、これから私の書くことをわかちあうことができるだろう。

ただただ楽しかった、それも、もちろん素晴らしい感想なのだけれど、この文章教室は、およそひねくれたひとに向けて開講されているので、これから書くことは少しあなた向きではないかもしれない(そして理屈っぽすぎると感じるかもしれない)。でも、少しだけ我慢して、ひとつの考え方にふれてみてほしい。

「書く」ことと不全感は、おそらく切っても切り離せない関係にある。
なぜなら、それは〈私〉と世界の根本的な関係に由来する感覚だからだ。

 

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許すこと、許さないこと.

「暴力のシーンはみせるのかな」、と私が質問した。

ワークショップ最終日。
みんなのいえなかったこと、会えなかったひとのことを「手紙」に書いてもらった。ここでは、お互いの「手紙」を交換して場面をつくっているところ。私たちのグループの元へ届けられた「手紙」は、お父さんがお母さんに暴力をふるっていたけれど、幼い自分が何もいえなかったこと、について書かれていた。

高校生のNちゃんは「あたしは、そういうの直接みたくない」といってくれた。

みたくないんだ、と思った。正直で力強いことばだと思った。暴力を演劇の上でもみせるということは、形式上では簡単なことでも、精神的にはとても覚悟のいることだと私は思っているから、Nちゃんのいうとおり、安易な気持ちから暴力のシーンをみせるべきではないかもしれないと思った。でも、その家に暴力は確かにあったのだ、そのことも私たちは記憶しておかなくてはいけない。

「お母さんはこのことをゆるしているだろうか」、やはり私が質問する。

 

お父さんはこういうかたちでしかコミュニケーションをとることができないひとなの、
だからね、ほんとうはお父さんもお父さんで、かわいそうなひとなの。


それくらいのことを、お母さんはいえるだろうか。言わせるべきなのだろうか。それも言えなかったことばのひとつなのだろうか。もちろん、芝居的には言わせるのが定石なのかもしれない。

しかし、Kがいった。「あたしはそこでお母さんに許させるっていうことは、うまく説明できないけれど、お母さんに「お母さん」であることを押し付けることだなって思うから、いやだな」 Kはお母さんの生きづらさに寄り添って手紙を書いてくれた参加者だった。だから、人一倍そのことには敏感だったと思う。

「そうだね」とため息をつきながら私はKに同意する。確かにお父さんの何もかもを受け入れて、それでも黙って生きていくお母さんは存在するにしても、随分とできすぎたお母さんだ。もっと蓋をされてきたお母さんの「許せない」もあっていいはずだ。

それから、みんなだったら、DVをゆるせるか、ゆるせないか、それから、どんなことをいうだろうか、随分と長い時間をかけて議論した。

このとき、私の思考は飛躍して自分のことへと思いをはせていた。
私は、異なった事情から私の母親を許せないし、許そうと思ったことがない。けれども、その前提には母親には完全な存在でいて欲しかったという子どもながらの私の欲望がそこにはあったのだということに話し合いの中で気がつかされた。たぶん、これからも私は母親を許せない。けれども、許せない母もまた人間だったのだということだけは弁えておこうと思った。

発表の場では、セリフは切り詰めた。半分は私の趣味だ。
ことばは切り詰めた方が緊迫感と重みが出てくる。

家族に暴力を振るい続けてきた父親が倒れ病院に救急搬送される。
遠方で働いていた息子が疲れ切った表情で前室に入ってくる。

「…あんな男しんでしまったらいいんだよ」
「どうしてそんな」
「……だって」
 間。おそらく、ふたりがこれまでのこと、これからのことを考える。
「……でもね」

母のこのひとことは思い。母はたぶん父親を許しているわけではない。
けれども、若さゆえの先走った息子の「しんでしまったらいい」ということばにも釘をさしている。母と息子は長い影を引きずりながら集中治療室の前室の長椅子に座っている。


演劇のワークショップでは、こんなことが無数に起こる。私は完成した場面をみるのも好きだし、それまでのプロセスでみんなが語ること、そして一緒に考えることもすごく好きだ。

いささか繰り返しめいてしまうのだけれど、いえなかったこと、会えなかったひとについて應典院という此岸と彼岸を結びつける場所を会場にみんなと一緒に表現をできたことはとてもいいことだったのではないかと思っている。

ワークショップ全体のふりかえりについては、まだ考えている最中なのだけれど、ワークショップの最中の一幕、このことはどうしても紹介しておきたいと思って、ここに書き留めておくことにした。

高校生のための文章教室<1>

文章を「書く」ことが好きだ。

私にとって「書く」ということは日常の中に当たり前のようにあることで、だから、おもしろいことも、学びのあることも無理に書こうとはおもわない。あえていえば、そのときどきに伝えたいことに、ぴったりとくることばをいつも考えていて、それがみつかると、探していたパズルのピースがどこかから出てきたようで何となしにうれしい。

この文章は、ほんとうは私の教え子に向けて書くはずだった文章で、けれども、いくつかの事情が重なって、私は彼/彼女に直接ことばを届ける機会を失ってしまったから、もっと広く様々なひとに便利に使ってもらえるように、ところどころを書き改めながら公開してみることにした。

だから、この文章は基本的にこれから小論文や志望理由書を書こうとする高校生のための文章教室なのだけれど、高校生のためだからといって、大人が読んではいけないということは全然ない。

いまの私は、誰もいない教室でひとりきり、あてどもなく未来の生徒があらわれるのを待っている教員のようなものだから、もしも、あなたが私の生徒に、いや「書く」ということについて一緒に考えてくれる友だちになってくれたら、とてもうれしい。

八木重吉という詩人がいる。彼は自分の詩集の巻頭言にこう書いた。

私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。


私の書くものは詩ではないけれど、それでも私をどうかあなたの友にしてほしい。

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