「おじさん」なんてきらいだ

以前Twitterに書いたことをまとめておこうと思います。

「おじさん」なんてきらいだ。

 

「おじさん」というのは、生きものとしての「おじさん」を指す言葉ではありません。何も私はエイジズムを吐きだそうとしているわけではない。ただ「おじさん」的あり方と私が呼んでいるものが、たぶん、この社会にはあって、それに対する異議申し立てをしておきたい、というそれだけのことです。

 

 

ちなみに「おじさん」は女性のうちにも巣食っていて、私は時折いちばんそういうものと対立的であるはずのフェミニストの活動家の中にも「おじさん」を読み込んだりすることがある。

 

それでは「おじさん」とは何か。端的に書けば、「おじさん」とは生活を無視して、国家大計や人間存在一般について語ろうとするひとのことで、そのような態度のことでもあります。だから、ここで書いている「おじさん」というのは生物学的な中年男性のことと完全に同一なわけじゃないってことを予め注意喚起しておきます。

 

さて、生活というのはいつも具体的で、個別的、そして時間のかかるものです。生きている限り排水溝の掃除はしなくてはいけないし、モップがけをやめたら埃は自然と部屋の隅に溜まってくる。好きなときにやめられるものではないし、一度片付けたら、それで終わりということもない。

 

「おじさん」の語る国家大計はたいていの場合、勇ましい。人間存在についての議論も抽象度が高くて、むつかしくて、すごいことをいっているように思えます。この前会った「おじさん」は都知事問題と沖縄問題をしきりに論じていました。*1

 

私はそういうことをすぐにはじめられるほうではないから「おじさん」たちのことを、ちょっと尊敬してしまいそうになるときもある。沖縄って、そういえば、行ったことがなかったし、でも、岩井俊二監督の「リリィ・シュシュのすべて」*2 の冒頭シーンは確か沖縄だったような、とか、そういえば、かつて夢中になって聴いたCoccoは沖縄出身だったよな、とかそんなことから考えはじめて、それから沖縄出身の友だちの顔を思い出したりする。そして、そこではじめて、そういえば、沖縄には米軍基地が沢山あるけれど、基地がある暮らしってどういうものなんだろうって思う。

 

私たちにとって思考というのはいつでも具体的で、生活から出発するんです。だから、どんなことについても簡単には結論づけられないし、いつでもためらいとゆらぎの内にある。あまり大きなことをいうことはできません。

 

おじさんは「沖縄」という。そのときの「沖縄」はまるで宙に浮いていて「オ、キ、ナ、ワ」とだけ発せられる私の知らない宇宙人の言葉みたいだ。あなたの話しているその場所は一体どこにあるのですか、誰が暮らしているのですか、空の色はどんな色をしていますか。

 

政治についても、社会についても、それから哲学についても、現代に至るまで私たちは思考が高度化していくとされること、抽象化していくとされること、そのようなことが洗練された知の営みであって、学問の流儀だと思わされてきました。そして、そんな知の担い手は大多数が男性だった。

 

それから、この男性中心主義は知の領域だけじゃない。たとえば、ブルーカラーの労働運動の領域においてさえ、同じような問題をひきおこしています。運動、労働、社会、すべてが観念的で、具体的な仕事、個別的な感情はどんどん捨象されていって、家事労働なんてものは忘却の彼方におきさられ、それで議論はいつのまにか抽象的な「国家なるもの」のあり方なんて地点へ接続されていく。

 

そういうとき「おじさん」は大抵、肯定的にか否定的にか別にして、自分がまるで国家になったかのように社会について、人間について、論じます。*3 でも「おじさん」は国家ではないし、国家に対置される概念でもないんだよ。それよりも国家大計を語っているときのその毛玉だらけのオーバーサイズのニットをどうにかしようよ。ズボンに染み、ついているよ。そうやって「おじさん」をバカにしたいわけじゃないんです。でも、私たちは国家を論じているその時にも、毛玉だらけのニットを着た存在でもあり得るし、じゃあ、その染みのついたチノパンをクリーニングに持っていって染み抜きをお願いするのは誰かっていうことなんです。

 

提案です。

 

そろそろ私たち、生物学的に女であっても、男であっても「おじさん」になること、「おじさん」のように生きることを拒否しませんか。生活や、日常は確かに退屈で、そこには夢もロマンもないかもしれない。けれど、その具体性だとか、冗長性こそが私たちの社会に対して何かの歯止めになるようなもの、戦争を拒否し、全体主義に抗するものじゃないかと私は思うのです。

 

だから、もう一度だけ書いておきたい、私、あなたのこときらいです。

「おじさん」なんてきらいだ。

*1:ちなみに私の周りにはあまりいませんが「仕事論おじさん」や「自己成長おじさん」という種類の「おじさん」もしばしばいます

*2:岩井俊二監督作品、2001年公開、蒼井優の演技がすばらしく私は彼女になりたいと思ったものです。私たちの世代にとって、おそらくトラウマを残した邦画作品のひとつ。評価についてはわかれるところ

*3:ちなみに軍国主義ファシズムの芽というのは案外、こんな地点にあるのではないかと私はにらんでいます