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絶望工場に希望はあるかーー介助現場の社会学に向けて

今から書くことはフィクションだと考えて欲しい。

 

こう、断り書きをしなくてはならない現在の社会における個人情報の保護だとか、研究倫理の遵守みたいなことについても思うところは様々にあるのだけれど、それについては愚痴めいてしまうし、たぶん、別に書いたほうがいいだろうから、ここでは書かない。

 

 

さて、社会福祉士という国家資格の実習のために、6週間の施設実習を受けてきた。このブログの更新がすっかりとまっていたのも、それによるものである。実習期間中は、体力のあまりない私なので日々の業務と日誌や書類の記入などで疲弊しきって、一本も舞台も観に行けなかったし、ほとんど実習先と自宅の往復の日々を過ごしていた。実習先というのは常に評価されている場所であるし、自分の職場というわけではないから、また独特の緊張があるんだ、と少しだけ言い訳をしておきたい。

 

とはいえ、6週間といっても休日は原則として休みなので、概ね施設に通ったのは、1ヶ月間ぐらいの期間ということになるだろうか。デイサービスや、特別養護老人ホームの組み合わされた高齢者福祉の複合施設での実習だった。

 

 

私が関心が深く、自身でも経験があるのは、子どもの分野とそれから障がいの分野である(福祉は援助の対象となるひとによって、そんなに容易く切り分けられるものではないし、そもそも実際の事例は分類をまたいで発生するので、そんな話は意味がないという議論は一旦おいておこう)。だから、正直にいって、高齢者福祉の現場で実習をするというのは、あまりピンとこなかった。それどころか、実をいえば、私は高齢者が苦手だった。

 

苦手な理由は主に二つある。

 

ひとつは、私自身が自分の老いを受け入れがたく未だに思っていること、老いということを恐れの対象として悲観的にみているため、できれば、そこから目を背けていたいという気持ちによる苦手さだ。もう若さだけで何事も乗り切れる歳はとうに過ぎてしまって、いつまでも思春期の延長戦のようなことをいっているのは「イタい」ひとなんだろうが、それでも私はどこかで歳をとりたくないと思っているし、次第に何かをできなくなっていってしまう。欠落していってしまうようにみえる年老いていくことをとても恐れているのだった。

 

もうひとつは、幼い頃の記憶である。私がたとえばおばあちゃん子で高齢者にかわいがられた記憶でもあれば、話はちがうのだろうが(実際に施設の職員の中にはそのような動機で現在の職についている職員も存在する)、私にとって高齢者に関する幼い頃の鮮明な記憶というのは、ひとの葬式にきては、作法がどうだの、近所の噂話がどうこうと喧しく喋り散らす老人たちの存在で、彼らの記憶というのは私の中で日本の「地方」におけるコミュニティの負の閉鎖性の印象と共に脳裏に刻まれてしまっており、とてもいい思い出とは言い難い。

 

こんなふたつの理由で私は高齢者があまり得意ではなかったのだ。

 

 

特別養護老人ホームは簡単にいえば、介護保険制度によって運営される高齢者施設で「要介護3」以上の介護認定を受けた高齢者の入所を原則として受け入れている入所型の施設である。介護保険で運営される施設のため、費用負担は所得に応じて、1割か2割の負担割合だ。だから、待機者もとんでもない数、存在し、保育園問題をわらえないレベルで、一施設あたり数百人の高齢者が入所待ちをしていたりするというのが、現在における特別養護老人ホームを取り巻く状況である。

 

(ちなみに株式会社が運営しており、盛んに広告も打っているような施設は基本的に「有料老人ホーム」といわれる施設で、これらは介護保険の制度外で運営される施設のため、費用負担は10割入所者とその家族によるものとなる。下手な有料老人ホームだと、入所するための一時金だけでも、私などが一生働いても稼げないのではないかという額を要求する施設も中には存在をする)

 

さて「要介護3」以上、そして「要介護4」や「要介護5」の高齢者の介助というのは、端的にいって結構大変である。一昔前には「寝たきり」といわれていたような入所者はたくさんいるし、認知症も進行している場合が多いといえる。全介助を受ける必要があり、自分では動くことのできない高齢者はまだ現場の介護職からすればありがたい存在である。一番大変なのは、認知症が進行しているにも関わらず、身体的なADLは低下していない、すなわち、動くことのできるひと、これも一昔前のことばを使えば「徘徊老人」の存在だ。彼らは認知機能は退行している(と思われている)にも関わらず、自由にあちらこちらを動いていく。だから、日中多いときでも、40、50人の高齢者を4〜5名の人数で介助しなければならない介護職にとっては、気の休まらない相手だということになる。

 

いつか、テレビのドキュメンタリーで認知症対応型のグループホームがとりあげられていたとき、そのグループホームでは、徘徊時にはどこまででも高齢者の自由に歩いてもらい、それに職員がついていくのだ、と報じていた映像をみたことがあるが、施設でそんなことをすれば、たちまち介助の現場は破綻してしまう。

 

だから、鍵をつける。暗証番号式で入所者たちは番号を知らされていないため、自分の入所しているフロア以外に移動することができない。ソフトな軟禁である。身体拘束ゼロなどと謳っているが、実際にはベッドには縛りつけられてこそいないものの、入所している高齢者たちは断りなくしては同じ建物内の別のフロアにさえ、移動することができないのである。

 

 

工場のようだ、というのが、実際の介助の現場に入って最初に感じた印象である。さながら、職員たちはモーレツに働く工員のようで、まるで入所している高齢者たちは工業製品のようである。というのも、施設では(すべての施設が同じかどうかはわからないが、少なくとも一般的には)多くの入所者に介助を提供しなければならないため、時間刻みですべての予定が決められている。

 

朝食、排泄介助、医療処置、昼食、入浴、排泄介助、夕食、といった具合に。排泄が自立している入所者にはトイレ誘導が行われるが、オムツをつけることになっている入所者に対する対応は、 もっと機械的なものである。フロアの端の居室から順に職員が入っていって、オムツ交換をしていくのである。基本的に希望する排泄のペースやタイミングといったものはない。施設の決められた時間にオムツが交換され、場合によっては下剤や浣腸が処置される、というそのルーティンで施設は運営されている。

 

キビキビとことば少なにオムツを交換していく職員はひとを相手にしているというよりも、まるで何かの製品の部品をいれかえているようだ。オムツを外す。鼻をつく便臭があたりに漂う。オムツの中に敷かれたパットに汚物がべったりと付着している。職員は手早くそれを外すと、スプレー状の石鹸を陰部に塗布して、持ってきた容器に入っている水を使って洗浄すると、専用の布を使って清拭を行い、新しいパットとオムツを入所者につける。この「作業」がひとりあたりにつき、数分で行われる。

 

フロアに入所しているすべての入所者がというわけではないが、殆どの入所者がオムツをしているから、およそ40回近くこの儀式は繰り返され、職員は手前から奥の居室へと移動していく。

 

排泄の自由とは人間にとって一番根本的な自由のひとつではないだろうか。施設では、少なくとも入所者のそのような自由は奪われている。認知症だから仕方ない、のだろうか。施設の従事者たちは当たり前のように入所者不在の状況で「排便コントロール」ということばを口にする。もちろん、便通がなければ、腸閉塞などを発症するリスクもある。しかし、行きたいときにトイレに行けない生活、工場のように決まった時間にオムツを殆ど無言で交換され続ける生活が果たしていかほど人間的であるといえるだろうか。

 

しかし、ここで声高に職員を批判することは、あまり意味がない。現場を知らない研究者ならば、チャチな倫理観に基づいて、ここで異議申し立てを行うのだろうが、しかし、私はそれは一面的にすぎる見方であると思う。

 

介助現場に従事する介護職たちはベストを尽くしている。工場のようだ、とかいたけれども、1日の中で少しだけ時間ができたときには高齢者たちに声をかけ、楽しそうに笑いあったりする。病院に入院すれば心配するし、退院すれば自分の祖父母のことのように喜ぶ。夜勤手当がつき、処遇改善手当も存在するとはいえ、彼らの賃金はその働きに対して正当なだけ支払われているとは言い難い。だから、離職率も高い。身体的なリスクも伴う仕事である。年齢を重ねた職員にはいつでも足腰を痛める危険性がついてまわる。高齢者たちにたちは善良なだけの存在ではない。たいていの介護職は笑ってあしらうが、入所者の中にはセクシャルハラスメントを行う入所者もいる。相談員や事務員は少しでも施設全体の利益をあげようと、多少無理のある高齢者であっても空きをつくらないために、強引にでも現場に押し込んでくる。実際の介助の負担を被るのは、現場の介護職である。介護職は毎日、目の前の業務に追われている。直接の介助だけではない。今では殆どの場合システムに管理され、電子化された記録をすべての入所者について、事細かにつけていかなくてはいけない。夜勤はフロアあたり一名か二名で行う。夜中、40数名の入所者をひとりでケアしなければならないのである。

 

介護職もまた、このいびつな絶望工場を生み出した社会の被害者である。いったい、この介護保険施設という名の緩慢な絶望工場に希望はあるのだろうか。

 

 

成田さんのことを書く。

 

成田さんというのはもちろん仮名であり、いま目の前にある本の著者名から適当につけた。成田さんは認知症だが、身体機能はまだ比較的しっかりとしている。だから、よく動ける。他の入所者の部屋に入ってしまったりする。職員の介助が気に入らないと大声で暴言を叫び、身体的にも暴れまわったりする。成田さんには、成田さんにだけきこえるものと、みえることがある。それらが成田さんの「現実」を構成している。だから、成田さんはしばしば他の入所者ともトラブルを起こす。

 

ある夜のことだった。正確には何が起きたのかを記述することはできない。というのも、成田さんともうひとりの入所者しかその場にはおらず、当人たちはその場面の背景について語る機会を与えられなかったからだ。成田さんには何かがきこえて、何かがみえたのかもしれない。いつも温厚で、話好きの日比野さん(これももちろん仮名だ)の部屋に入った成田さんは、どういうわけか激昂して、日比野さんの顔をなぐった。日比野さんは顔面から出血する。痛かっただろう。大声で泣いて、助けを求めた。夜勤の職員がかけつけた。そして、成田さんは認知症の進行を理由に精神病院に入院することになった。

 

以上は私が記録で読んだ成田さんに関するエピソードのあらまし(というフィクション)である。そして、私の目の前にいた成田さんは精神病院で「治療」を終えた後の成田さんだった。

 

成田さんはもう殆ど自分では動かない。職員に座らせられたソファーに一日中ぼんやりと腰掛けている。時折、尻を動かしてソファーから降りて、エレベーターの方へ行こうとする。たまに「帰りたい」という。それだけが成田さんの表現することの、現在におけるすべてである。成田さんの目はどこか遠くをみている。フロアの「問題児」だった成田さんはもういない。成田さんは暴言をあげない。それどころか何も語らなくなってしまった。介助に拒否もない。それどころか殆ど動かなくなってしまった。

 

これをどうやら社会的には認知症の治療が成功している、というらしいのだ。精神医療とは一体何なのだろうか。同じことを高齢者でなく、一般の成人に行ったら、病院はどのような反応を受けるだろうか。高齢者は医療の主体ではなく、客体であるとでも勘違いしているのだろうか。

 

たしかにみえないものがみえて、きこえないものがきこえることはつらいことだろう。その点で成田さんは楽になったと思う。けれども、その結果、成田さんの成田さんのADLは控えめに言っても大幅に低下したし、主体としての意識はとてもぼんやりとしたものになってしまった。

 

 

正解がどうだったのか、そもそも、そんなものがあったのかわからない。

 

けれども、私は成田さんのことを起点にきっとこれからも認知症ケアについて考え続けるだろう。ユマニチュードや、回想法など研究者たちは、認知症の改善のため手法の開発と流行の創造に余念がない。

 

しかし、必要なのは方法ではない、と思う。私たちが高齢者が暮らす場をどのような場所として考えたいと思うのか。そのために必要なことは何なのか。介護労働者の労働環境自体も改善がはかられなくてはならないだろう。

 

私は1ヶ月の実習を終えても残念ながら、このような施設に自分が年老いたとき入りたいとは思えなかった。個々の職員をみれば、奮闘している介護職はたくさんいる。しかし、総体として、人間をどのようにみているか、ということを考えたとき、私はこのような種類の施設に入りたくはないな、と思ったというそういうことである。

 

そもそも、介助現場のこのような実情さえ、高齢者や介助に縁のない人には殆ど知られていないのが現状ではないだろうか。マイルドな絶望工場に希望をもたらすために何ができるか、いまはまだわからない。しかし、関わりを持ってしまった以上、目を背けることはもう許されないだろう。

 

さいごに詩人の齋藤恵美子さんの「不安」という詩を引用して、この記事を終えよう。

 

「不安」

齋藤恵美子

 

パジャマに着がえて寝てください

暗くなるたび、言われるけど

「ぱじゃま」も「きがえ」も「ねてください」も

何のことだか、わからない

「かけぶとん」も「うわばき」も

「めがね」も「まくら」も「はぶらし」も、わからないから

服のうえから、ねまきをはおって歩いてみる

窓に、けしきが、ながれている

あかりのなかの雨、のようだ

匂いはしない

はだしになって、椅子のありかをひきよせる

わからない

じぶんはいつまで、この病院にいるんだろう

病院じゃあない、ホテルだよ、ここはね

老人ホテルだよ

息子のようなおとなが声で、おしえてくれた気がするが

「ほてる」もさっぱりわからないし

じぶんの数もわからない

ひとりのようで、ふたりのようで

娘のようで、老婆のようで

むかしは、ひとの親までこなした、そんな気丈な女のようで

もどることができるだろうか

何から、はぐれてきたんだろう

わたしは、パジャマを、おそれている

わたしは、ねまきをもっている

からかみを、背景にして大笑いするあの女

写真のなかのばあさんを

わたしとおもえたことがない

椅子にはさんだ、絹ざぶとんの、ほこりっぽい匂いのなかに

じぶんにちかい湿気があるが

窓のけしきはながれない

わからない

感情だけが、ぽつんと生きのびているようだ

雨の数は、やがて、はやい

椅子から、おしっこがわいてくる

わからない

写真の女の、口をまねして笑ってみる

床がしっとり匂いだす

長谷川さぁん、と呼ばれている

 

 

この国で老いていくことについて改めて考えさせられた数週間。私は成田さん、あなたの生きたことをわすれない。