私はわすれない

書きたいことは少しずつたまっていて、だけれど、
他の仕事や原稿に追われたまま、年度をまたいでしまって今年もまた四月を迎えています。

私ごとなのだけれど、学校教員になりました。
国語科の教員として、主に高校生に現代文や小論文を授業します。しばらくは、あまり実感がわかずにいたのだけれど、
四月と共に教員会議がはじまって、ようやく自分の立場を実感しているところです。

私は単年度契約の非常勤だから、次年度も同じ学校にいられるかどうかはわからない。
けれど、それでも生徒のために力を尽くしたいとはおもっています。
国語が好きで得意な子へも、そうでない子へも。

そして、私の勤務校は、みんなが憧れるような学校ではありません。
すごく荒れているわけでもないけれど、どちらかといったら、選ばれて進学するというよりも、結果として進学することになったという生徒が少なくないような学校です。元気に楽しく四月を迎えられているのなら、もちろんいいのだけれど、そうではなくて、ちょっとがっかりした気持ちや期待の薄い気持ちで新しい春を迎えた生徒もあるかもしれない。この時期まずは、そういうひとたちにこそ、寄り添えたらとおもうし、互いに励ましあっていけたらとおもいます。

学校という場所が、生徒にとっておどろくほど、たくさんの「禁止」や「ダメ」に溢れていることに会議に出席しておどろきました。正確に書くならば、思い出したのかもしれません。同じように、たくさんの「ダメ」に囲まれて、いつも不満げな顔をしていた、いつかの自分のことを。

生徒に向き合うひとりの大人、そして教科指導を行うという意味では私はプロでありたいです。一方でふと思いだすのは、三田キャンパスで受けた教職の授業で、ある先生が熱心に「アマチュア」であることの大事さを説いていた風景です。そのときの私には、どうしてそれが重要なのかも、どうして教職の授業でそんな話がされるのかも、よくわからずにいた。

でも、今になって、なぜ、あのとき先生が「アマチュア」であることの大事さを訴えたのか、少しだけわかる気がしています。私はプロになりたいけど「アマチュア」でもあり続けたい。学校って、こんなにもたくさんの「禁止」があるんだということに違和感を抱くこころを殺さずに、教員を続けていきたい。

だから、考えあぐねていたブログの名前を「私はわすれない」に改めました。
日々を重ねていると当たり前でなかったはずのことが次々と当たり前になっていく。
それが好ましいことであるときもあれば、そうでないときもあります。

「わすれない」ために、少しずつですが様々なことを書き留めていきます。